ある晩、病院から帰宅すると近所の方に声を掛けられました。
「昼間、小さな男の子とお母さんが玄関の前でしばらく待っていたわよ。」
「うちで待ってて、と声を掛けたのだけど遠慮して帰ったわ。」
当時は、携帯電話がまだ普及していない時代です。
すぐに連絡を取り合う事が出来ません。
玄関のドアノブに、紙袋が下がっていました。
中には、厚手の本数冊と1通の手紙。
学生時代の友人でした。
『明日はいよいよ手術ですね。どうしても会いたくて来てしまいました。私も家で祈っています。会えずに残念だったけど、突然来た私のせいなので気にしないでね。出来る事があったら何でも言ってね。すぐに来るからね。3/18PM1:20』
友人の家から我が家まで、片道2時間以上します。
まして小さな子どもと一緒という事は、手を繋いだり抱っこしたりするため3時間以上かかっているはずです。
急いで電話をしました。
友人は、「居ても立っても居られなくなった。」そうです。
今の私たちに「必要だと思われる本を持ってきた。」と言われました。
その日の夜、一気に全部読みました。
「病気に絶対負けない」という内容でした。
繰り返し読みたい箇所に〇印を付けました。
数冊の厚い本は重たかったと思います。
しかも3歳のお子さんの手を引きながらです。
数日後、今度は日にちを決めて会いました。
今度も自宅まで来てくれました。
可愛い3歳のお子さんも一緒です。
この日の病院は夕方からにしました。
友人を誘いましたが遠慮をしています。
友人はご家族を亡くされています。
“お見舞いを遠慮した方が良い場合もある”と考えている様でした。
「お見舞いは遠慮しておくわね。」
「外科の手術でしょう?」
「ご主人、会いたくないと思うの。」
「それにうちの子小さいから。」
「騒いだりしたら、他の患者さんにもご迷惑だし。」
学生時代からの友人ですが、昔から見習うべき事の多い友人です。
夫に話しましたら、友人と同じ考えでした。
今は会う事は避けたいと言います。
しかし、とても嬉しそうです。
久し振りの笑顔です。
友人の温かさは万病の薬だと思いました。
今でも、懐かしそうに話をする事があります。
「小さな男の子とわざわざ来てくれたね。」
「あの子もう何歳になるかなぁ。」
私も、この日の事は20年以上経った今でもよく覚えています。
会わなくても気持ちは伝わるのですね。
妻の私より友人の方が、よっぽど夫の精神状態を理解していると思い反省しました。