「8月は化学療法をもうやりたくありません…。」「もう終わりにしたいです…。」と、先生にお願いしたのは7月上旬でした。
東京のお盆は7月13日~16日の4日間。
13日が迎え火、16日が送り火。
毎年、数日前から準備をします。
メニューも考えます。
「初日は、お茶がいいかしら…。」
「それとも、義父と義母が大好きなコーヒー…。」
しかし、この年はすっかり忘れていました。
私自身、精神的に弱っていたのかもしれません。
3月から抗がん剤治療が始まりました。
半年間と言われていました。
しかし、実際いつまで続くのかわかりません。
夫には言えませんが、先が見えず不安でした。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
7月13日は、義父の命日でもあります。
その前日、「不思議な出来事」がありました。
退院後は、1階で寝起きをしていました。
お盆の「前日、明け方」の出来事です。
玄関が開く音がしました。
誰かが家の中に入ってきます。
そして、2階に上がって行く足音。
寝ぼけているのかと思い、起きて座りました。
耳を澄ませました。
やはり、誰かが2階に上がっていく音がします。
同時に、夫と私の携帯が光り出しました。
私は、会社用と自分用の2台持っています。
計3台が、暗闇の中で光り出しました。
ピカッ、ピカッという点滅です。
まるで、クリスマスツリーやホタルの様で綺麗でした。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
退院したばかりでしたが、夫を起こしました。
夫も耳を澄ませました。
”誰かいる”と言い、起き上がりました。
ゴルフクラブをそれぞれ持ち、音を立てない様に2階に上がりました。
夫は、戦闘態勢でした。
一部屋、一部屋、パッと電気をつけ、ゴルフクラブを構えました。
でも、誰もいません…。
もう一度見ましたが、誰もいません…。
2階の電気を消して、1階に降りる事にしました。
…とその時、ある部屋から音がしました。
カタッという、はっきりとした音です。
義母が暮らしていた部屋でした。
(あっ!)
(義母がいる!)
(夫が義母に会える!)
義母や義父に関しては怖くありません。
色々経験をしていますので。
義母が暮らしていた部屋の電気をもう一度つけました。
「小さなテーブル」が倒れていました。
(あっー!)
(忘れてたぁー!)
(明日は、お盆の迎え火ー!)
(義父の命日ー!)
その「小さなテーブル」は、お盆の時に使っていました。
毎年、義母の部屋に「小さなテーブル」を置き、お茶と座布団を並べます。
「義父、義母、ご先祖様」の分です。
急いで「お盆の準備」をしました。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
もう1つ、お盆に「不思議な出来事」があります。
これは毎年なので、もう慣れました。
迎え火は、少しでも早くご先祖様をお迎えするため早い時間なのですが、我が家は毎年「夜11時頃」になってしまいます。
「夜11時頃」なので真っ暗です。
でも、毎年「黄色い蝶」が出て来ます。
毎年、夫が「麻がら」に火をつけます。
私は、誰か来ないかキョロキョロと見張り番をしています。
しゃがんでいる夫の後ろには「むくげの木」があります。
その「むくげの木」の周りを、「黄色い蝶」が飛んでいます。
玄関の明かりで、「黄色い蝶」は金色にキラキラと輝きとても綺麗です。
「むくげの木」も淡く光り、幻想的な美しさに思わず見とれてしまいます。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
「黄色い蝶」ですが、「義母」だと思っています。
結婚して30年以上、毎年お盆を経験しています。
「黄色い蝶」が出て来る様になったのは、義母が亡くなってからです。
気が付くのは、キョロキョロと見張り番をしている私です。
(あっ、今年もいる…)
(あっ、今年もいる…)
義母は「お盆を大切」にしていました。
その気持ちを夫が受継ぎ、「義母が喜んで舞っている」のではないかと思う様になりました。